091219臨床哲学研究会「教材から哲学と教育を考える」

12月19日(土)は臨床哲学研究会「教材から哲学と教育を考える」の進行役を務めさせていただきました。


研究会の司会・進行は初めてだったので少し緊張。でも、ゲストの方もみんな話しやすい方ばかりでほっとしました。ディスカッションで論点が絞れるか少し心配だったけど、お話をきくうちに3つのケースに共通する問題が浮びあがってきてよかったです。1つだけきくより論点が絞りやすくなったと思います。


ディスカッションでは、「対話を通して何を教えていることになるのか?」という問いに対して、「教育とは何か?」と「哲学とは何か?」という二つの視点から議論されました。また、「哲学的な問いは学校や矯正施設という場を崩壊させうる可能性もあるのでは?」という場所の問題についても指摘されました。

個人的に特に興味深かった論点を挙げると・・・

「こわばり」がとれる(言ってはいけないと思っていたことを言える。人と異なる意見を言う)ことを、哲学の成果の一つとして捉えられるのではないか。

緻密な議論を積み上げることだけが哲学ではないということ。

哲学的な問い(が提示されている教材)は共有しやすく、便利、誰にでも実践しやすいが、その一方で、哲学的な問いが生活と隔離されてしまう危険性もある。それこそ、現代の哲学の問題ではないか?

これぞまさに臨床哲学的な意見!なのに、臨床哲学のメンバーではなくゲストの菊地さんから出たのがおかしかったです。

(「対話のなかで、問いをどうやってつくるのか?」という質問に対して)教員が学生の意見の受け手=質問者となり、やってみせることが重要。

哲学カフェの経験から同じことを思っていたことだったので。
特に最近、育児サークルの哲学カフェでは、雑談から参加者自身に問いを立ててもらうことを試みているので、これについてもまた書きたいと思います。