[グリグラ]100921「ふつうって何?」

最近、なかなか更新できなくてごめんなさい。
バタバタしてます。


さて、21日のグリグラ哲学カフェ、テーマは「ふつうって何?」でした。


いつもは参加者の悩みからテーマが決まるけど、なぜか今回は進行役である私の悩みから・・・。
前回、雑談中に「『結婚式しないなんて普通じゃない』って反対された〜」とぼやいてたら、それがテーマになっちゃいました。


さて、今回の参加者。「ふつうになりたい」という人もいれば、「ふつうだねって言われると傷つく」という人も。
議論の内容は・・・


「『ふつう』が正しいとはかぎらない。なのになぜ、『ふつうじゃない』が攻撃になるの?」
「『ふつう』=多数派? でも、『みんなこうしてる』っていうときの『みんな』って、せいぜい3人ぐらいだよね〜」
「『ふつう』は基準になりうる?」


などなど。


「文化や時代、人によって、『ふつう』かはちがう。だから基準になりえないはず!」
「でも、実際は、『ふつう』が基準みたいになってるよね?」


という矛盾の前に、「今までやったテーマのなかで、一番難しい!」との声も。
でも、「難しいけど、ここ大事だからがんばって!」と励まして、みんなでねばって考えた結果、
「『ふつうじゃない』は、相手を自分のテリトリーにもってきて思い通りにしようとする。相手の基準を無視して、自分の基準に従わせるやり方」
と答えがでてきました。


また、「『みんなこうしてる』の『みんな』はせいぜい3人。」の謎も解けました。
田舎など人口が少ない=所属グループが選べないところでは、その3人が重要だってこと。
人数が少ないからこそ、その3人とつき合えなかったら人とのつながりがなくなってしまう。


一見ネガティブな発見ですが、実際に人口の少ない地域に住んでいる人は・・・


「いままで『ふつうになりたい』と思ってたけど、ふつうじゃなくていいんだ。ふつうじゃなくても落ち込まなくていいんだ。いままで『ふつう』っていってたのは、たった3人の世界。ある世界で普通じゃなくても、他の世界ではふつうでありうる。そう思ったら気がラクになった」


こんなふうに、哲学カフェ(特にグリグラの)では、問題を解決できなくても視野が開けることによって「気がラクになった」という声をいただくことも。
認知療法のような効果があるのでしょうか。興味深いです。


その他にはこんな感想がでました。

「『ふつう』は変わらないと思ってた。けど、変わるんだ。それなら、『ふつう』にこだわらなくていっか。」
「『ふつうはこうでしょ』ってよく使ってたけど、反省。そんな基準はないと思った」



次回のグリグラ哲学カフェは10月19日。
詳しくはカフェフィロHPをご覧下さい。