哲学カフェ「なぜ結婚するのか?」

もう6月ですね。
忘れないうちに、5月のグリグラ哲学カフェについて報告しておかねば。

  • テーマ:「なぜ結婚するのか」
  • 参加者:11人


平日の昼間開催ということで、
いつもは参加者のほとんどは「お母さん」と呼ばれる方ですが、
この日は11人のうち独身男性が2名!
そのうちお一人が、
「自分は結婚は合わないからしたくないと思うのに、親は『結婚しろ』とうるさい。
なぜ結婚する(しなければならない?)のか?」
と問いを投げかけてくださいました。


グリグラ哲学カフェでは以前にも「結婚と同棲」というテーマで
「結婚」について考えましたが、反対がなかったので決定。
参加者が半分くらいちがうせいか、
(半分くらいは同じ人なのに)
新たな発見もあったし、
前にでた意見も新たに他の観点から見直せてよかったです。


また、議論の進み方も前とは全然ちがいました。
テーマを提案してくださった方の
「結婚したくない理由」に
結婚してる方がひとつひとつ反論していくのですが、
「結婚しない理由」を否定することはできても、
なかなか「結婚する理由」とまではならず。
その様子が、みていて非常におもしろかったです。


そして、「結婚したくない」彼の
「結婚は趣味みたいなもの。したいひとはすればいいし、
したくない人はしなくていいんじゃないか」
という意見と、
結婚してる人の
「結婚するのも面倒くさいけど、結婚しないのも面倒くさいのよね〜」
という妙に説得力ある発言から
「なぜ結婚してるほうが社会的信用を得やすいのか」
という問いが浮かびあがってきました。
ここで「なぜ結婚するのか?」という問いが、
単に個々人の結婚の理由を問うものではなく、
結婚と社会的信用を結びつける社会的風潮に対する問いに変換されます。


私が特に印象深かったのは、
「結婚によって、その人がどこの誰かがわかる」
という意見。
私が誰かは私自身の特性によってではなく、
他の人との関係のなかで決まるという考え方があるのは知っていたけれど、
結婚をそういうふう観点から捉えたことがなかったので新鮮でした。
その一方で、
「家族の前の私は本当の私じゃない。『母親』という立場を演じてるだけ」
という発言もあり。
結婚とアイデンティティ、なかなか興味深いテーマです。
友だちが結婚前に「結婚しても私のままでいられるかな」
と言っていたのを思い出したりもしました。


また、前回は同棲との比較から、男女のカップルを基準に
結婚の制度的な側面を中心に吟味されましたが、
今回は、夫婦中心とは別の共生について考えることができました。
子どもを育てない人は税金を多めに負担するといった
家族という単位ではなく社会という単位で協力し合う方法や、
独身女性が集まって長屋に住むなど、
夫婦を基準にした家族とは別の家族像の可能性が提示されました。


グリグラ哲学カフェで2度「結婚」というテーマを扱ったことで、
「結婚」というテーマの広がりと、
似たようなテーマでも参加者が一部変わるだけで新たな議論が展開できるんだ
という哲学カフェの面白さと
両方を感じることができてよかったです。