哲学ファシリテーター入門:哲学カフェを開きたい人のために

先週の土曜、8月21日はカフェフィロセミナー
哲学ファシリテーター入門:哲学カフェを開きたい人のためにの1日目。
わたしは、第1回〈哲学カフェ入門〉を担当させていただきました。


参加者(セミナーだから「受講者」というべき?)は、
哲学カフェに参加したことのない人、
参加したことがある人、
自分で哲学カフェを開いている人
・・・と、いろいろ。


いつも「哲学カフェについて知りたいなら、参加してみるのが一番」と言ってるけど、
遠方で普段は参加できない人にも哲学カフェを理解してもらうにはどうすればいい?


哲学カフェに「こうでなければならない」という決まりはないけど、
それだけじゃ、何をどうすればいいのかわからない。
「自分にもできそう!」と感じてもらうには何を伝えるべき?


と相当悩みました。


カフェフィロのメンバーからこれまでのシンポジウムや研究会の資料をかき集め、
直前の11時過ぎまでスライドや資料を修正しまくった結果、
今回は、哲学カフェの文化的背景や社会的意義など抽象的な話はばっさりカット。
「哲学カフェを開きたい人のために」なので、
なるべく実践経験に基づいた実践に役立つ情報を盛り込むことに。


実際、質疑応答でも、
「適正な参加人数はどれくらい?」
「広報活動はしたほうがいい?」
「盛り上がったら、長々と続けてもいい?」
「進行役として、こういうときどうする?」
と、哲学カフェをやってたら「あるよね」というような具体的な問題ばかり。
どれもわたしも一度は悩んだことのある問題だったので、
それぞれ具体的な例と理由をあげながら答えさせていただきました。


そして、場所さえあればすぐに哲学カフェが実践できるように、
ワークでは、哲学カフェの要となるテーマづくりに挑戦していただきました。


それにしても・・・
今回は、哲学カフェの楽しさを伝えたい一心で講師を務めさせていただきましたが、
やっぱりわたしは双方向のやりとりのほうが向いてるわ〜。
質疑応答やワークの時間は我ながら生き生きしてますが、
一方的に話さなければならないレクチャーはとても緊張しました。
ふつうに考えれば、レクチャーのほうが思い通りにすすんでラクなのにね。


とはいえ、今回、みなさんの反応をみて、
「こんなワークをやったら、役にたちそう」
「こんな情報があったら喜ばれるかな」
というアイデアも湧いたので、
要望があればまたやりたいです。



さて、今回のこのセミナー、
第3回、第4回は今週土曜、28日です。
中川さん、高橋さんがばっちり準備してくれてますので、
参加者のみなさんお楽しみに。


その前に・・・
明日は、中之島哲学コレージュ番外編、オレンジカフェ!
6月の中之島哲学コレージュで大好評だった久住さん、田坂さんがきてくれます。
今回は「スイッチ」にも触れられるし、湘南工科大学の学生さんが「ベッドサイドの技術」に挑戦!
豪華です。
お時間のある方は、ぜひぜひご参加ください。
詳細はこちら

岡山県立美術館で「中学生鑑賞教室」に遭遇

6月末から岡山で暮らしています。
昨日、岡山県立美術館「パスキンとエコール・ド・パリ展」へ行ってきました。


ついでに「岡山の美術展」を覗くと、ちょうど「中学生鑑賞教室」の最中。
あちらこちらで絵の前に中学生4〜5が集まって、何やら話しています。


これが、あの、「対話型鑑賞」か!


絵をみるのもそこそこに、こっそり(?)様子をうかがってみました。


各グループは中学生4〜5人+ファシリテーターらしき大人が2人。
ファシリテーターが「この絵をみてどう思う? 自由に言ってごらん」、「この暗い部分についてはどう思う?」と促します。
子どもたちは、
「この犬はこの人を助けてるところなんじゃないか」
「ここを引き立てるために、ここは暗くしてるんじゃないか」
など、それぞれ思い思いに絵を解釈していました。
時間は1作品につき20分ぐらい。


残念なのは、他の鑑賞者の邪魔をしないように、声が小さくてあまりききとれなかったこと。
確かに、静かに絵をみたい人もいるだろうけど、せっかくだからもっとききたかったな〜。
いっそ、「この日は対話型鑑賞の日です」と堂々と宣言して、大人も一緒に参加できたらいいのに!
なんておもっちゃいました。


それに、絵の解釈だけじゃなく、絵をみてどう思ったかももっとききたかったぞ。
「これはどんなシーンか」とか「これはどんな技法をつかってるか」とか、
そういうのはやっぱり知識がないと限界がある。
必ずしも「正しい観方」じゃなくてもいいけど、
明らかに「間違った解釈」というのが存在するのも事実。
そうじゃなくて、もっと目前の絵が自分にどんな影響を与えるのかとか、
その作品と自分の関係、あるいは「みること」そのものを問い返すような、
そんな対話ができるといいなぁ。


というわけで、やっぱり私はミルトークが好きです。
ひとつの作品について2時間ぐらいみんなでじーっくり話し合うの。
次回のてつがくかふぇ@せんだいはそんな感じになるのかな?
遠方なので、行けないのが残念です。

100803 哲学カフェ「再生医療技術を考える」

8月3日は中之島哲学コレージュ。
実は7月末をもってコレージュに関わるリサーチアシスタントの任務から離れることになったのですが、
ボランティアのマイク係として参加してきました。


再生医療って、
ES細胞」とか「iPS細胞」とか言葉をきいたことがあるだけで、
自分にはあまり関係ない問題だと思ってたけど、
すごく社会的な問題なんですねぇ。


参加者は30人強とそんなに多くはなかったけれど、
みなさん熱心にお話をきいたり質問したりしていました。


ゲストの岩江さんはたくさんの問題を指摘されましたが、
そのなかには再生医療特有の問題もあったし、
医療全般の問題もあるように思えました。


とても印象に残ってるのは、
iPS細胞による再生医療はまだ未知数だから期待をかけすぎるのはどうか
と警鐘をならすゲストの岩江さんに対し、
参加者から、
「私はいま病気を煩っているが、iPS細胞によって治るかもしれない。期待したい」
と発言があったシーン。
それまで
「みなさん、再生医療といっても身近に感じられないかもしれないけれど」
といっていた岩江さんの態度が、さっと変わります。
主張内容は変わらずとも、表現から当事者への配慮が感じられました。
どんな人が参加しているかわからない中之島哲学コレージュらしい一場面。


その他にも、
会場からでた「生命はどこからどこで?」という問いや
税金の配分の問題。
それから、臨床試験の問題など、
考えるべき問題がたくさんありました。
今度、それらの問題を一つ一つ丁寧に議論する機会があるといいなぁ。



さて、これまで私は、
大阪大学文学研究科の社学連携に関するリサーチアシスタントとして
中之島哲学コレージュの関わってきました。
しかし7月末をもって文学研究科の学生ではなくなり、
8月からコミュニケーション・デザインセンターの特任研究員として務めることに。
今後、中之島哲学コレージュには、カフェフィロの一員として協力してゆくつもりです。


次回の中之島コレージュは8月25日。
6月にお招きした久住純司さんをゲストに、
「当時者による/当事者のための技術」というテーマでセミナーを開きます。
今度は、実際に「スイッチ」に触れたり、
湘南工科大学の学生さんが「ベッドサイドの技術」に挑戦。
いつもは京阪なにわ橋駅構内のアートエリアB1で開催していますが、
今回は番外編として会場が大阪大学豊中キャンパスのオレンジショップになります。
ご注意ください。
詳しくはこちら

時計

修理にだしてた腕時計がようやく帰ってきました。

時計は進行役の必須アイテム。
普段はケータイですませてるわたし(自宅にも時計はありません)。
でも、進行役をやるときだけは腕時計をつけていきます。


進行役の大事な役割のひとつに、タイムキーパーがあります。
時間になったら始まりを告げ、終わりの時間になったら終わりを告げる。
どんなに議論が盛り上がっていても。
哲学カフェはたった数時間で終わるからこそ、気軽にできるし、また参加しようと思えるのです。

100723 哲学セミナー「ポロロッカーぼくらは生きている」

京阪なにわ橋駅構内のオープンスペース「アートエリアB1」にて開催している中之島哲学コレージュ。
7月23日は「月桃の花」歌舞団のみなさんをお招きし、「ポロロッカーぼくらは生きている」を開催しました。


前半は、ミュージカル『ワーキングプア希望宣言!ポロロッカ ぼくらは生きている』ダイジェスト版を鑑賞。
開演4時間前から準備して、いつものスペースがまるで劇場のよう。
生バンドの演奏に、迫力いっぱいの歌と踊り。
とても贅沢な時間でした。


後半は、歌舞団の方と会場の参加者いっしょに、ミュージカルの感想を交えながら、
戦争や貧困が世界を襲い、人間を使い捨てにしていく社会についてを考えました。
「同じメッセージでも言葉より歌や踊りのほうが心に響くのはどうしてだろう?」
「悪いのは自分じゃなくて社会っていうけど、その社会って何だろう?」
「このような社会でどうやって希望を見いだすの?」
などなど。


歌舞団の方の「希望とは、自分の居場所があること」という言葉が非常に印象的でした。


それから、感想でいただいた
「(ミュージカルのなかで)「希望はどこだ!?」というフレーズがあったが、
どこにもなくても人がつながることで希望はつくりだせるし、
それぞれの人のなかにある希望を共有することで希望は大きくなっていく」
という言葉も。


実は、開催当日まで、
「なぜワーキングプアの問題を、ミュージカルで?」
「会場に対して役者さんが多すぎないかな?」
とおもっていたわたし。
でも、実際にミュージカルをみると、すぐに納得できました。
タイトルにある「ぼくらは生きている」というメッセージが、
歌や踊り、身体を通じてダイレクトに伝わってくる。
特に、10人以上の役者さんが一斉に歌うシーンでは、一人では絶対でない迫力、
「つながる」ことによって得られるものの大きさを感じることができました。


「希望をさがす」をテーマに4つのプログラムをお届けしてきた6−7月。
回を重ねるごとに、「希望」と「他者とのつながり」との関係が浮かび上がってきたように思います。
企画段階では全く予想していなかった、うれしい発見でした。

8月の中之島哲学コレージュ「技術」


8月3日(火) 哲学カフェ「再生医療を考える」
8月25日(水)セミナー「当事者による/当事者のための技術」


※8月25日のセミナーは場所・時間がいつもと異なります。ご注意ください。
詳しくはこちら

100713 「人はなぜスポーツをみて感動するのか?」@グリグラ

7月13日はグリグラ哲学カフェでした。
参加者は5人。ま、そういうこともあるさ。


テーマは、サッカーワールドカップの話題から、
「人はなぜスポーツをみて感動するのか?」。


スポーツをみて感動したことは全員あるということでしたが、
スポーツのどこに感動するかはさまざま。
大きく分けると、

  1. 試合のプレーをみて選手の卓越した身体能力に感動する人と、
  2. プレーそのものではなくその背後にある選手の人生(人が変わる様子、意志の強さ、チームメイトの絆など)

に感動する人とがいました。


特に後者については、
「それはスポーツに感動していることになるのか?」
「人はスポーツから何を学べるか?」
「ドラマをみたときの感動とどうちがうか?」
などの点からさまざまな意見がでました。


初めてスポーツに関するテーマを扱いましたが、
一口に「スポーツをみる」といっても、
そこに何をみているのかが人それぞれ全然ちがうこと、
スポーツの予測不可能性(シナリオがないこと)に人が真実を感じていること
などがわかって面白かったです。


また、1と2について「全然見方がちがう」という意見が大半でしたが、
「人が変わる姿になぜ感動するのか?」を話しているうちに
「自分を変えること、今までにない自分になるのは難しい」という発言がでて、
「それが難しいと知ってるから感動するという点では同じだね」ということに。
その難しさを知らなければ、人は感動できないのかもしれないなと思ったりしました。




さて、次回のグリグラ哲学カフェは9月です。
8月はお休み。
子どもが夏休みで、「お母さん」たちは忙しいからね。
夏休みに参加しようと思ってた方、残念でした。
またの機会にお待ちしております。